東北の怒り  作家 熊谷達也

(4月16日(土)の『河北新報』朝刊)

 

 

 3月11日の巨大地震と大津波以後、「想定外」「想定を超えている」という言葉が、この国はどれだけ飛び交っていた事か。メディアを通してそれを耳にするたびに、最初から私は腹が立って仕方がなかったしいまだに腹立ちは続いている。

 沿岸部の被災地の人々は、あるいは、私を含め、東北に生きる事で同じ痛みを抱え、困難な未来を共に引き受けようと覚悟している者は、誰一人として「想定外」という言葉は口にしていない。例え確かにそうだと思っていても、目の当たりにした数々の光景はそんな簡単な一言で片付けられるはづがなく、無言を貫くか、懸命になってちがう言葉を捜そうとするかの、どちらかだ。

 人間は何をどう想定しようと、人知をはるかに超えた力を、時に暴力という形で解き放つのが自然だという事を、私たち東北人は誰に教えられることなく知っている。だからこそ私たち東北人は、自然に対して謙虚に向き合い、その厳しさに耐えることを当然としていき続けてきた。だから今回の震災に対しても、失ったもののあまりの大きさに嘆きこそすれ、恨む事はしていない。ただ黙々とその日に出来る事をひとつづつ積み重ね、日常を取り戻すための辛抱をするだけだ。

 だが、内に抱える腹立ちや怒りを今回ばかりは遠慮せずに言葉にしてはいいのではないか。それほど、東京を中心とした首都圏から発信される言葉は、下品なまでに卑しく、呆れ果てるものが多いからだ。ここまで言葉に傷つけられ、それでも黙っている事は、もう出来ない。今回だけは、東北人はキレていい。誰もキレなくても、私はキレる。

 例えば震災直後、大きな決断をしましたと言わんばかりに「2万人の自衛隊員を派遣する」と発表したこの国の政府。その後すぐに「5万」と変更したと思うが、冗談じゃない。被災地にいる我々は、2万はおろか5万だってぜんぜん足りない、最低でも10万は必要だと、誰もが直感的に思ったはずだ。

 

 

 メディアがこぞって原発事故ばかりを騒ぎ立てている間にも、助けようとしたら助けられたかもしれない命が、瓦礫の下でどれだけの数、失われていった事か。暴走しようとする原発を宥めるべく、現場に身を置き続ける作業員や自衛隊員、消防隊員には敬意を払う。しかし、冷たい雪になぶられる瓦礫を、なすすべなく見つめるしかなかった私たちには、東京の放射線騒ぎや計画停電なんかどうでもよかった。燃料の尽きた底冷えのする避難所で空腹を抱えていた被災者はもちろん、同じ寒風の下で幼い子どもの手を引き、愚痴をもらさず何時間もスーパーマーケットに並んでいた仙台市民も、東京のバカ騒ぎに対して、好い加減にしろっ、と心の内では吐き捨てていた。

 東京に電気を送るために、私たちは進んで原発を引き受けたのではない。原発なんかなくても暮らす事は出来ていた。原発がなくては暮らせないように東北の村を作り変えたのは、首都圏のエゴイズムだ。今度原発を作る時には、東京湾に作ればいい。原発道路なんか、私たちには必要ない。

 あるいは、今後は津波の来ない場所に町を再建すべきだと、訳知り顔で言ってのけるものもいる。何度津浪が来ようと、海のそばでしか暮らせない人々の、その気持ちがなぜ分からない。いつも海を見ていた人々の心の在り方に、どうして思いが至らないのか。

 もちろん、東京人だって、私たちの痛みを同じ目線で共有しようとしてくれている人々がいることを、一緒に痛みを引き受けようとしてくれている人々が沢山いることを、私たちは知っている。しかし、それを差し引いても、私の腹立ちが収まる気配は一向にない。「想定外」などという、想像力のかけらもない安易な言葉に、これ以上傷つけられるのはもう沢山だ。

 

 

 

 

 

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